状況の認識や先の見通しの難しい知的障害者の生活に関わる中で、『本人の気持ち』を知りたいと言いながら、体験を増やし、選択肢を増やす取り組みに時間を費やさず、材料のない中で『本人は変化を望んでいないのではないか?』と堂々巡りに時間を費やさせることは。
有限である時間を奪うにも等しい事だろう。
そして、変化は、望むものにも、望まぬものにも、訪れる。
積極的に変化を迎え撃ち、エンパワーメントの機会とするのか、パワーレスな状況で圧倒的な変化に飲み込まれていくのか。
最近、ある大学で、障害福祉の現状と課題について話をする機会をいただいた。 僕は研究者でも、批評評論家でもなく、 ただ障害福祉サービスを実践してきているだけなので、 論述的な話も、体系的な話もできない、、、^^; できるのは実践の中で感じ、 自分なりに考えて来たことだけなんだけど、 改めて、 それを振り返り、人に話す、良い機会でした。 そこで、話の中核になったのが 「なんで施設はダメなのか?」 って話。 これは、数年前に、TransitCafe☀ColorsのTalkingGigで、小幡くんと一緒にやった話の焼き直しでもある。 さて なんで、、、、施設はダメなのか? そもそも 施設ってなんだ? 特定のニーズをもつユーザーのニーズに応える場所や建築物と提供する為の仕組み 、、、、、、だとしよう 例えば 学校は、、、 教育ってニーズをもつ子どもに、教育を提供する建物と仕組み デパートは、、、 買い物したいってニーズをもつ人に、商品を提供する建物と仕組み 研究所は、、、 研究をしたい人に、研究をできる設備等を提供する建物と仕組み だとする なぜ、建物に仕組みを組み込んでいく必要があるのか? ニーズへの対応を集中させる為 なぜ、ニーズへの対応を集中させるのか? 効率化と高度化、そしてユーザーの利便性の確保だろう 効率化は解りやすい ユーザーを集めて待たすことができれば、提供する人や仕組みを効率よく使える 高度化は少し解り難い 提供する人や仕組みは、集中して存在することで知識や経験を共有し、提供するものについて検証考察をおこない、より高度な知識やスキルを開発しやすくなる。 ユーザーの利便性はストレートだよね そこに行けば、ニーズに応えて貰える そう、ここまで書いていると、施設はダメではない 効率的で、 高度化が得られ、 利便性が高い これが、施設がなく、すべて個別だと 非効率で、 高度化しなくて、 利便性が悪くなる、、、(^_^;)
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