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1000人参加の縁日【十人十色ミックスカルチャー祭り】世界人権Dayだからね٩(๑❛ᴗ❛๑)۶

1000人参加の縁日【十人十色ミックスカルチャー祭り】世界人権Dayだからね٩(๑❛ᴗ❛๑)۶

表題イベントへのご協力をお願い致します。

◯イベントへの参加、情報の拡散にご協力下さい。
Facebookイベントページ
https://www.facebook.com/events/1719627461665681/permalink/1747201118908315/

◯クラウドファンディングでの資金サポート、情報の拡散にご協力下さい。
クラウドファンディング
https://kibidango.com/576


このイベントは、世界人権デーである12月10日。外国人・障害者・LGBT・オタク コスプレーヤーという所謂マイノリティと言われる人々が出演・出店者となる【人間の多様性】をテーマとしたミックスカルチャーな縁日企画です。
普段、お祭りに参加しにくい障害者なども平等に楽しめる縁日を目指しています!
ステージにもブースにも、多種多様な参加者が揃います!!
半分以上のメンバーが障害者であるパンクバンド【スーパー猛毒ちんどん】!
障害者や外国人のモデルを使った 誰でも笑顔になれる服【tenbo】ファッションショー
その他 楽しい企画が満載!

主催のバリアフリー社会人サークルColorsは、大田区にある小さなイベントスペース『TransitCafe☀Colors』を運営し、月に10本程度のイベントを開催しています。
ソーシャルな話題(障害・マイノリティ・国際支援・教育など)のトークライブ・障害者でも健常者でもプロでもアマでも平等に参加できる音楽ライブ・占い・落語・学習会・様々なものを作る教室など。年間のべ800人の来場者があり、そのうち約4割が障害者です^ ^外国人もLGBTも、子どもも高齢者も遊びに来ます。
一つのスペースで、どんな人でも一緒に楽しむことが出来れば、お互いを認め合える!

そんな小さくとも多様性に富んだ活動を積み重ねてきているColorsの大きなイベントです。

Facebookイベントページ
https://www.facebook.com/events/1719627461665681/permalink/1747201118908315/

クラウドファンディング
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バリアフリー社会人サークルColors HPにイベント詳細掲載中
https://colors-tokyo.jimdo.com/


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なんで施設はダメなのか? 2017 その1

最近、ある大学で、障害福祉の現状と課題について話をする機会をいただいた。 僕は研究者でも、批評評論家でもなく、 ただ障害福祉サービスを実践してきているだけなので、 論述的な話も、体系的な話もできない、、、^^; できるのは実践の中で感じ、 自分なりに考えて来たことだけなんだけど、 改めて、 それを振り返り、人に話す、良い機会でした。 そこで、話の中核になったのが 「なんで施設はダメなのか?」 って話。 これは、数年前に、TransitCafe☀ColorsのTalkingGigで、小幡くんと一緒にやった話の焼き直しでもある。 さて なんで、、、、施設はダメなのか? そもそも 施設ってなんだ? 特定のニーズをもつユーザーのニーズに応える場所や建築物と提供する為の仕組み 、、、、、、だとしよう 例えば 学校は、、、 教育ってニーズをもつ子どもに、教育を提供する建物と仕組み デパートは、、、 買い物したいってニーズをもつ人に、商品を提供する建物と仕組み 研究所は、、、 研究をしたい人に、研究をできる設備等を提供する建物と仕組み だとする なぜ、建物に仕組みを組み込んでいく必要があるのか? ニーズへの対応を集中させる為 なぜ、ニーズへの対応を集中させるのか? 効率化と高度化、そしてユーザーの利便性の確保だろう 効率化は解りやすい ユーザーを集めて待たすことができれば、提供する人や仕組みを効率よく使える 高度化は少し解り難い 提供する人や仕組みは、集中して存在することで知識や経験を共有し、提供するものについて検証考察をおこない、より高度な知識やスキルを開発しやすくなる。 ユーザーの利便性はストレートだよね そこに行けば、ニーズに応えて貰える そう、ここまで書いていると、施設はダメではない 効率的で、 高度化が得られ、 利便性が高い これが、施設がなく、すべて個別だと 非効率で、 高度化しなくて、 利便性が悪くなる、、、(^_^;)

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