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シェル

優しい気持ちを
いくつも重ね
退屈な日々を
繰り広げていく
もっと もっと 
幸せになりたい 悲しみ

落ちてしまった コイン
音を立てて回る
手のひらでは隠しきれない
思い


解き放つ為の手段が
いつか
戒めのための手順に変わる
きっと きっと
砕け散るだけの
モラル

弾けてしまえ
偽りのムーブメント
モブの中に見える
愚か者の手管


煮え切らない現実が素晴らしく重い
安らぎを守る このホームの柱を
一本 また一本と
切り倒す

眠りにつこう
ひとりシェルの中に
かけがえのない
時のない祈り

落ちてしまった コイン
音を立てて回る
手のひらでは隠しきれない
思い


コメント

このブログの人気の投稿

なんで施設はダメなのか? 2017 その1

最近、ある大学で、障害福祉の現状と課題について話をする機会をいただいた。 僕は研究者でも、批評評論家でもなく、 ただ障害福祉サービスを実践してきているだけなので、 論述的な話も、体系的な話もできない、、、^^; できるのは実践の中で感じ、 自分なりに考えて来たことだけなんだけど、 改めて、 それを振り返り、人に話す、良い機会でした。 そこで、話の中核になったのが 「なんで施設はダメなのか?」 って話。 これは、数年前に、TransitCafe☀ColorsのTalkingGigで、小幡くんと一緒にやった話の焼き直しでもある。 さて なんで、、、、施設はダメなのか? そもそも 施設ってなんだ? 特定のニーズをもつユーザーのニーズに応える場所や建築物と提供する為の仕組み 、、、、、、だとしよう 例えば 学校は、、、 教育ってニーズをもつ子どもに、教育を提供する建物と仕組み デパートは、、、 買い物したいってニーズをもつ人に、商品を提供する建物と仕組み 研究所は、、、 研究をしたい人に、研究をできる設備等を提供する建物と仕組み だとする なぜ、建物に仕組みを組み込んでいく必要があるのか? ニーズへの対応を集中させる為 なぜ、ニーズへの対応を集中させるのか? 効率化と高度化、そしてユーザーの利便性の確保だろう 効率化は解りやすい ユーザーを集めて待たすことができれば、提供する人や仕組みを効率よく使える 高度化は少し解り難い 提供する人や仕組みは、集中して存在することで知識や経験を共有し、提供するものについて検証考察をおこない、より高度な知識やスキルを開発しやすくなる。 ユーザーの利便性はストレートだよね そこに行けば、ニーズに応えて貰える そう、ここまで書いていると、施設はダメではない 効率的で、 高度化が得られ、 利便性が高い これが、施設がなく、すべて個別だと 非効率で、 高度化しなくて、 利便性が悪くなる、、、(^_^;)

支援が必要な高齢者は加齢による障がい者なんだと思うよ

介護保険と障害福祉サービスの統合に向けて、着々と国は歩みを進め、障がい者団体は「介護保険」とは一緒になれない、なったらこれまで獲得してきた生活が崩壊すると反対を続けている。それはそうだろう。 僕も介護保険との統合は反対だ。 ってより、支援や介護が必要な高齢者は「加齢による障がい者」なんだろうと考えている。その機能障害の有り様は、高齢者はすべて同じと言い難いものであるから、個々の機能障害に対して社会=環境が整備されていく必要がある。 介護保険が加齢による障害に対応できていないと見ている。 だから、介護保険を解体して、障害福祉サービスに統合していく必要があるのではないだろうか? それを支える財政は?って必ず言う人がいるが、すべての人が人として生きていくことに公的な予算を再優先で配分すれば良いだけ話だ。 その残りを他の施策に回せばいいだろう。人が人として生きていくことを支える以上に重要な施策はないと僕は考えている。 介護保険を解体して障害福祉サービスに統合し、加齢による障がい者の生活も他の障がい者と同じように支えられていく必要がある。

障害のある子どもと支援の専門性と

障害のある子どもに関わる支援者で、上質な専門性を積み重ねているのはガイドヘルパーだろう。 学校やデイサービスのスタッフの多くは、上手くやれるように「決められた枠とルール」の中で、障害のある子どもと関わるプロレス的な支援を日々繰り返し、障害のある子どもと教員、支援者しかいない空間で、その子どもの「障害」と向き合い、自分達は「障害のある子ども」の専門家だと勘違いを積み重ねている。 酷い場合になると、子どもの可能性を伸ばすと称して、自分たちが勝手に描いた「成長する子ども像」に、子どもたちを集団で誘導し、その流れに乗らない(乗れない)子どもを「課題のある子ども」とし、頭のよさそうな善意の人の顔で「障がい児への対応は難しい、専門性が必要だ」と言ってくれる(-_-;) 専門性とはなんだろうか? ここでは「 特定の領域に関する高度な知識と経験のこと」としておこう。 「特定の領域=障害のある子ども」に関する高度な知識と経験となるのだろう。 それは障がいのある子どもしかいない集団の中での「障害」に対しての高度な知識と、障害のある子どもしかいない集団での経験を指すのだろうか? それは、障害のある子どもは生涯を「障害のある人」と支援者の集団の中で過ごすことを前提にした専門スキルなんだと僕は考えている。 「やったこともないのに、言いたいこと言ってんなよ!」って言う人もいるだろう。 僕は20代30代を障害のある人たちの通所施設、放課後活動施設に費やしてきた結果として言っている。 放課後活動施設に関しては、自身で立ち上げ、責任者として運営をしていた。 言い出すとキリがないのだが、プロレス的支援の話はこの辺にしておき、冒頭で書いた、ガイドヘルパーが有する「上質な専門性」とはなんだろうか? 「障害のある子どもが地域の中で過ごす為の個別支援」に関する高度な知識と経験だと僕は考えている。 ガイドヘルプの現場ではそれが積み重ねらてきている。 それも「決められた枠とルール」の支配する場(施設)ではなく、子どもの生活の中で活きた知識と現実的な経験を積み重ねている、だから「上質」だと僕は言う。 しかし、現状では、障害のある子どもたちは安心と閉ざされた場でのスキルに支えられた施設に押し込められている。 そし